人工腎臓透析歴26年・・・そして旅立ち
腹膜透析を含めると約30年。
慢性腎不全と戦い続けてきた義弟が、
平成23年、1月20日、ついに遠い国へと旅立ちました。
他人に迷惑をかけることになるからと、
生涯を独身で通した義弟。
父母を失ってからは、自宅で一人暮らしを続けながら、
病院まで片道30分の道のりを、自分で車を運転して、
週3回の透析に通い続けていました。
たった一人の肉親である姉(私の妻)を、
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と慕い続け、
時折り訪れては、
「お姉ちゃんの料理は、何食っても美味い!」
などと褒めながら、世間話をして行くことが、
何よりの楽しみだったようで・・・
* * * *
昨年末から、慢性的に血圧が下がり、
目や耳が不自由になって運転が危ないからと、
タクシーや妻の車で送迎したのは、
正月を過ぎてからの十日足らず。
いつものように、
「美味い、うまい」と妻の料理を平らげて、
自宅へ送ったその日の夜に、室内で転倒。
自力では起き上がれない、とケータイがあり、
妻が助け起こしに行く。
これまでいくら勧めても(猫の餌やりが生きがいだったので)
首を縦に振らなかった義弟だが、
さすがに観念したらしく、翌日入院。
次の日透析。
そして、その夜。。
自分で呼び鈴を押して看護師を呼び、体位を変えてもらって、
「ありがとうございました」とはっきりした口調でお礼を言い、
「肩を回すと・・・」
と、右肩を回しながらいつもの口癖。
(回すと痛い。ゴキゴキ音がする・・・などと普段から)
私が立ちあがり、肩に手を触れたその時に、
「あ・い・う・え・お・・・」と、
うわごとのように、確かにそう聞こえたのです。
あれ、おかしなこと言ってる!
と思って顔を見ると、
白目をむいて、口をあけ・・・。
* * * *
実はこの日、2度目の発作でした。
透析終了後、妻の目の前で意識を失いICUへ。、
30分ほどして、
何事もなかったかのように自発的に目をさまし。
「腹が減った」と、
ヨーグルトを1パック平らげ、
「栄養が頭へ回って、目が見えるようになってきた」
などと妻に言い、
ついでに「コーラが飲みたい」と。
が、これは許可にならず。
すでに血圧は(低すぎて)測定不能。
脈もほとんど触れず。
「こんな状態で生きている人を見るのは、はじめてですよ」
などと看護師に言われながらも、
頑張っていた義弟。
付き添いを妻と交代して、
私が見守り始めて、間もなくの出来事でした。
呼びかけにも反応せず、瞳孔も開いて・・・
枕元の脈波計の数値が、
80~60~40と、確実に下がっていく。
定期的に吸い込む息が、
徐々に間隔が遠のき、
浅く、小さく、かすかになっていくその顔を、
じっと見守る。
「私の死に際も、このようでありたいな・・・」
などと思いながら。。
意識喪失から1時間10分。
脈波が途絶え、静かな最期。
父母たちの待つ国へと、旅立ったのでした。
「眞ちゃん、大好きだった母ちゃん、おばちゃんと、
これからは毎日一緒にいられるね・・・」
合掌。
*あ・い・う・え・お・・・:意味が解らなかったこの言葉。
「きっと、あ・り・が・と・う・と言いたかったんだよ」
という友人の言葉に、素直に納得がいきました。
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