母、満100歳。開拓の想いはるかに・・・
(平成27年5月、介護施設へ入所)
平成27年10月25日、
母が満100歳になりました
この世に生を受けてから一世紀。
よくぞ生き抜いてくれました。
母は大正4年10月25日、那須の旧農家の六女として生を受け、
昭和10年、父(明治42年8月29生れ)と結婚。
昭和12年、生後間もない長男を連れ、一家3人で新天地満州へ。
父が満鉄関係の仕事に就いて間もない同年7月、
日中戦争が勃発。
昭和15年、戦火が激しさを増し、
母は、長男と2月に生まれたばかりの次男を連れて日本へ。
一時帰国のつもりで、家財の一切は現地に残したままでしたが・・・
昭和16年12月8日、太平洋戦争が始まり、
母は那須の実家に身を寄せたまま、
終戦を迎えることとなりました。
(父。前列向かって右側)
(飛行隊の写真の裏に手書きされた父の履歴)
父は、昭和15年4月10日、現地で臨時招集され、
北安省龍鎮の第三航空情報連帯に編入。
20年4月、第十七航空情報隊へ転属となり、
8月15日、チチハルにて終戦を迎えました。
父たちは直前に進行してきたソ連軍の捕虜となり、
間もなく貨物列車に押し込められて・・・
11月にはソ満国境を越えて、チタ州カコイ収容所へ。
極寒のシベリアでの強制重労働。
多くの仲間が命を落としていく中、父は耐え抜き、
昭和22年、4月15日、引き揚げ船「米山」にてナホトカ港を出港。
4月22に舞鶴港に上陸、4月27日に復員となりました。
* * * *
(開拓基地にて。父、前列左から3人目)
(母。前列左から3人目)
その後、父母は那須高原の開拓地に入植。
原生林同様の那須の原野で、
雑木を倒し、その根を掘り起し、割ってマキとなし
一面の篠原を切り開き、
その根を根気よく掘り起こし、乾燥させて焼却(灰はそのまま肥料代わりに)。
無数の石ころ(那須の火山岩)を拾い集めては、
石塚(石ぐら)を築き、
掘る起こせない大きな石はそのまま残して、
やっと畑らしきものを作っても・・・
やせた火山灰地に加え、
寒冷な気候では作物もろくに育たず
2012年にNHKTVで放映された「開拓者たち」。
あの悲惨な開拓生活の映像は嘘でも誇張でもなく、
小学校時代の私の記憶に今も鮮明に残る事実そのもの。
父母は私と弟をもうけるも、
昭和31年6月、不慮の事故で父が突然の他界。
私が小学2年生になったばかりのときでした。
それでなくとも貧乏のどん底生活の真っ最中。
残された母はどれほどの苦労をしたことでしょう。
野良仕事の合間に、日銭稼ぎの土方に出たり、
土地持ちの旧農家へ農作業の手伝いに行ったりしながら、
私たち4人兄弟を育て上げてくれたのでした。
* * * *
(前列向かって左側が私)
*昭和30年、逃室(正式には「之繞+外」に室)小学校千振分校入学。
1年生の時の男子同級生7人で、校舎脇の土手で。
このあと1名の転校生を迎え、男子8人女子12人の同級生となる。
うしろに見える建物が開拓の基地跡。
昭和31年、7月。経済企画庁は経済白書
(日本経済の成長と近代化)の結びで、
「もはや戦後ではない」と記し、流行語ともなりましたが・・・
地方の生活、特に満州やシベリアから引き揚げてきた
開拓者たちの生活は、まだまだ戦後そのものでした。
麦飯(麦が7割、米3割くらい)さえ満足に食べられず、
うどん粉を水でこねてみそ汁に入れただけのすいとん、
茹でたジャガイモやサツマイモ、トウモロコシなど、
季節の収穫物が主食となることもしばしばでした。
(品種改良された現在の農作物とは比較にならないほど、
ものすごく 不味い代物)
それでも三食、食べられればいい方で、
私の通っていた分校(昭和30年入学)の同級生20人のうち、
麦飯の詰まった弁当箱を持ってくる子は3分の1程度で、
しかも、おかずは自家製味噌に付け込んだ大根などの味噌漬けくらい。
あと3分の1は、
サツマイモやジャガイモなどの代用食。
そして残りの3分の1は・・・
昼休みとは、校庭に出て、遊ぶ時間
一日2食。昼飯抜きの生活だったのです。
雨の日や雪の日は校庭に出ることができずに、
教室の自分の机で・・・(体育館などあろうはずもなし)
子供心にも可哀そうだと思ったものです。
昭和30年代の中ごろから、
高度成長の波が徐々に地方にも広がりを見せ始め、
白黒テレビや、耕運機の普及なども見られるようになり、
開拓地の生活も少しずつ良くなってはいったのですが・・・
他の地域に比べるとまだまだレベルの低いものだったのです。
*(黒磯の町に住んでいた妻の、子供のころの生活の記憶と、
4歳年下の私の生活記憶とを比較すると、、
まだ私の方が遅れていましたので、
黒磯と那須の開拓とでは、生活のレベルに、
少なくとも5年くらいの開きがあったのだろう、と思われます)。
父亡きあとも、
激動の昭和を生き抜き、
4人の子供たちを育て上げてくれた母。
今なお、こうして元気でいてくれる──
私たちに生きる希望と勇気を与えてくれている。
感謝の気持ち尊敬の念でいっぱいです
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